内宮別宮へはこれまで、遠隔地にある伊雑宮(いざわのみや)と瀧原宮(たきはらのみや)へ行ってきた。どちらも独自の雰囲気があって歴史も古い(創建不明)。特に瀧原宮は元伊勢といわれているので、内宮の元型の趣(おもむき)が感じられた。
伊雑宮
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内宮別宮の伊雑宮へ行く
伊雑宮(いざわのみや)へ行く 伊雑宮(いざわのみや)は内宮の別宮といった重要なお宮であるのだが、内宮からかなり離れた場所に位置している。市町村名でいえば、三重県志摩市。「志摩半島」と呼ばれるエリアで、 ...
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瀧原宮
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内宮別宮の瀧原宮へ行く:2回目
目次瀧原宮(たきはらのみや)=元伊勢道の駅 木つつ木館瀧原宮へ御船倉(みふなくら)とは瀧原宮の参拝を終えて 瀧原宮(たきはらのみや)=元伊勢 瀧原宮は内宮の別宮の一つで神宮から遠く離れた山中に位置して ...
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そして今回は、伊勢市内にあるもう一つの別宮「倭姫宮(やまとひめのみや)」への参拝について書こうと思う。倭姫宮は神宮の博物館である神宮徴古館の前に建っているから、その神宮徴古館を目的地にアクセスすればいい。神宮徴古館へのアクセス
場所は外宮と内宮を結ぶ御幸(みゆき)道路沿いに位置し、こんもりとした倉田山にある。駐車場スペースもしっかりとあり手洗場(トイレ)も設置されていた。鉄道アクセスの場合、最寄り駅は近鉄五十鈴川駅で徒歩約15分となっている。
倭姫宮(やまとひめのみや)
祀られている祭神は倭姫命(やまとひめのみこと)。倭姫命は第11代垂仁天皇の第4皇女で「天照大神を祀る場所」を求めて諸国を旅し、最終的に伊勢に鎮座地を定めた人とされている。「最終的にここにする」と場所を決めた重要人物だけれど、彼女を祀る社が建てられたのは新しく1923年(大正12年)のことだった。別宮の中では一番歴史が新しい。
この倭姫宮は、内宮のすぐ近くに位置するわけでもなく参拝者にもほとんど出会わなかった。いつもガランとしているのか、タイミング的なものなのかは不明。鳥居は2カ所にあって、目につき易い方は御幸道路から神宮徴古館へ入っていく三差路に立っている。
三差路沿いの鳥居
僕は車で行ったので、この鳥居前をやり過ごして1~2分上ったところの駐車場に停めた。降りたらすぐのところにもう一つの鳥居があった。道を挟んだ向かいには神宮徴古館が建っている。
徴古館近くの鳥居
倭姫宮入口
1つ目と2つ目の鳥居の距離は歩いてもそれほど離れていないけれども、駐車近くの鳥居から入った。
入ってすぐの曲がり角
道の突き当りの左手側に神札授与所
突き当たり右折したところに手水舎
そして手水舎を通り過ぎると、目の前が社殿だ。
左には古殿地(こでんち)
別宮は格の高いお宮なので式年遷宮も正宮に続いて行われている。現在の社殿と同じ敷地面積で古殿地(次の引っ越し先)が用意されている。
倭姫宮(やまとひめのみや)
右側から
僕が滞在時間中に出会った参拝者は10人未満だった。お参りをした後、神札授与所で御朱印をもらった。
神宮徴古館
神宮徴古館には神宮のお祭りや式年遷宮で撤下された品々が展示されている。国の重要文化財を含む美術工芸品等を約1万3千点ほど収蔵・展示。御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)と呼ばれている調度品類も展示してあった。これらは前回の式年遷宮で役目が終わった実物で引き継がれてきた古式にのっとり制作されている。人間国宝等の当代最高峰の工芸家達が参加した技術の伝承で非常に貴重なものを見ることができる。館内の撮影は禁止。
徴古館正面。カメラ後ろは倭姫宮
少し近づいて階段下から
階段を上って
斜めから
入口付近
チケット
館内は撮影禁止となっていたため写真を撮ることは出来なかった。しかし館内には貴重なものがたくさん展示されていて、神宮の祭りで実際に使われた「祭器具等実物」を見ることができた。この神宮徴古館へ行けば、神宮で行われている祭祀の歴史等概要を知ることができる。歴史を知りたい場合は「訪れるべき場所」なのだろう。