瀧原宮(たきはらのみや)=元伊勢
瀧原宮は内宮の別宮の一つで神宮から遠く離れた山中に位置している。その歴史は古くて、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神の鎮座地を求めてお宮を造ったのがルーツと、そういったいわれのある宮だ。その鎮座地を現在の内宮の地に決定する前の場所なので元伊勢(もといせ)と呼ばれている。しかもほぼ最終段階の元伊勢なので、ここが内宮の元型だと思えは何ともいえない雰囲気も味わえるのだった。また、瀧原宮は志摩の伊雑宮と並んで遥宮(とおのみや)の別称を持っていてそれは「遥かな所」に位置しているということなのだろう。
所在地は、三重県度会郡(わたらいぐん)大紀町(たいきちょう)滝原。電車でのアクセスはJR東海 紀勢本線 滝原駅より1.5kmとなっているけれど、滝原駅が山の中の無人駅という環境で電車の本数も少なそう。時間効率を最優先するならば「車利用」を考えた方がいいと思う。一般道ならR42号線の一本道で、高速なら紀勢自動車道の大宮大台ICで降りるのが近い。
道の駅 木つつ木館
国道42号線を山中に向かって走り「道の駅 奥伊勢おおだい」でひと休みしてから車で10分ほど走ると、道の左手側に「道の駅 木つつ木館」が現れた。ここが瀧原宮への目印かつ玄関口だ。普通に走っていれば見過ごすことはないだろう。手洗いも飲食も出来る施設だ。木つつ木館の駐車場は結構広くとってあって、ここに車を停めて瀧原宮まで歩いていく(というか車で来たらほぼこれ一択)
瀧原宮へ
木つつ木館前から徒歩5分程度で鳥居前に到着。こちらも一本道で迷うことなしだった。
皇大神宮別宮 瀧原宮
瀧原宮の境内・神域は44ヘクタールの広さ。1haが10,000平方メートルなので、44haは440,000平方メートル。平方キロメートルに直すと0.44平方キロメートルとなる。その中をすっと真っすぐ伸びる参道がいい雰囲気。
参道を行く
しばらく歩くと、宿衛屋が見えてきた
手前に御手洗場(みたらし)の看板
看板の矢印に従って右折すると川に出た。内宮の五十鈴川に相当するものだろう。この川の名前は頓登(とんど)川という。
頓登(とんど)川の上り方面
下り方面
小川で水量が少なかったけれど、ここで手を洗っていたのだろう。五十鈴川と同じ役割。さて、参道に戻って進むのだけれど、御朱印を頂く場合はここで宿衛屋に朱印帳を預けておく。宿衛屋では、お札やお守りを扱っているし、リーフレットも置いてあった。
参道歩きの再開
参道の距離から考えると、宿衛屋が鳥居からお宮までの中間地点ぐらいだろうか。しばらく歩くと参道がふいに開けてお宮に到着した。別宮は2つ、所管社は同座も含めて3社、そしてその他に古殿地と御船倉(みふなくら)がある。
瀧原宮(たきはらのみや)
瀧原並宮(たきはらのならびのみや)
二つの社殿が隣り合わせで並んでいる。祭神は共に天照大御神御魂で、二つに分けて祀られている理由ははっきりしない。内宮の正宮が和魂(にきたま・にきみたま・にぎたま・にぎみたま)で、内宮別宮の荒祭宮が荒魂(あらたま・あらみたま)を祀っているように、温和な面と荒々しい面の二面性を分離させているのかもしれない。
右が瀧原宮、左が瀧原並宮
瀧原並宮の左が古殿地と御船倉となっている。御船倉(みふなくら)は神宮でここだけの唯一のものだ。
正面が古殿地
右(写真で切れている)が御船倉
御船倉(みふなくら)とは
御船倉とは初耳で神宮関係でここだけに存在するということなのでちょっと調べてみた。まず、御神体(神が宿るもの)を納めた器が御樋代(みひしろ)と名付けられている。その御樋代を入れる箱のことを御船代(みふなしろ)といい船の形をしている。そしてその御船代を保管する倉が御船倉とのこと。瀧原にアマテラスを鎮座した時にこういう風に建立したというのが元型となって再現された形となっている。伝承としてこうして残っているというだけでも、この土地の歴史の古さを感じさせる。とにかく「ここでいろいろあった」ということだ。お参りを済ませた後、参道を戻る。この道幅とびっしり覆っている杉木立が気持ち良い。
帰り道
途中、宿衛屋に寄って御朱印帳を受け取って鳥居までゆっくりと戻った。
瀧原宮の参拝を終えて
当日は天候も良かったのだけれど、遠隔地でアクセスに時間がかかるということもあってか、出会った他の参拝者は10人以下だった。まんま山の中を歩くということで静かな環境だった。個人的な感想では、瀧原宮は内宮のミニチュアという感じで他の別宮とは違う雰囲気を持ったお宮だった。アクセスが良ければ多くの人が訪れるような印象を持った。
公共交通機関でのアクセス:JR東海 紀勢本線 滝原駅
車でのアクセス:国道42号線沿い
休憩所:道の駅 木つつ木館
近くの軽食等:道の駅 木つつ木館
近くのお手洗い等:道の駅 木つつ木館
全滞在時間:トータル1時間程度