旅:伊勢周辺

お伊勢さんと瀧原宮:1回目

新元号の発表もあったということで、週末にお伊勢さんと瀧原宮(たきはらのみや)に行ってきた。お伊勢さんの公式参拝ルートは、最初に外宮(げくう)を参ってから内宮(ないくう)というものらしいけれど、今回は内宮だけ。そして元伊勢といわれている瀧原宮へ参ってきた。
今までに、内宮と外宮は何度かお参りに来たことがあるので、今回のメインは瀧原宮と自分の中でそう思ってのお伊勢まいりなのだった。

内宮(ないくう)にて

内宮のお参り、宇治橋を渡って正宮までの参拝は本であれネット上であれさまざまな媒体で見ることができる。なので今回の内宮参拝で、自分の気に入った場所の写真をいくつかあげておくに留めておきたい。

内宮の五十鈴川のほとり

五十鈴川御手洗1

正式には御手洗(みたらし)という名前。五十鈴川の水で手を洗う。少し手前には手水舎(てみずしゃ)があってヒシャクも置いてあるのだけれど、昔々は参拝者は皆ここで手を清めたらしい。

御手洗から上流の眺め

五十鈴川御手洗2

何だか水量が少なかった。しばらく雨が降っていないとこういう感じだ。さて、手を洗って正宮へのお参りを済ませた後、内宮第一位の別宮へもお参りに行った。ルートは正宮からの帰り、右折れをしてぐるっと正宮の垣根沿いに回り込んでいく道を行く。

荒祭宮

内宮荒祭宮

名前は荒祭宮(あらまつりのみや)といい、位置的には正宮の裏手?に祀られている。雰囲気もこじんまりとしてかわいい感じがするのだけれど、祀られているのは「アマテラスの荒ぶる魂」。感情的に荒々しいもの側面を祀っている。それは自然でいえば、台風とか大雨とかといったものなのだろうか。

内宮域は宇治橋を渡ってからかなり広くて、正宮以外にもいろいろ社があってけっこう歩いたなぁといった感じなのだった。そして、内宮を参拝した後、瀧原宮(たきはらのみや)へ向かうこととなった。

瀧原宮(たきはらのみや)

瀧原宮は内宮からかなり離れた山の中、国道42号線沿いにある。高速を使うと近くにICがあるらしいのだけれど、国道を行ったので車で2時間弱かかってしまった。しかし訪れる価値は十分あって、神宮最古の別宮とされている。現在の神宮の場所に定まる前の元伊勢(もといせ)なので、歴史は内宮より古いのだった。「神宮より以前かあ」という感慨がある。

静かな参道

瀧原宮参道

入口の鳥居からまっすぐ伸びる参道。途中に宿衛屋があり、お札やお守りを購入できる。10~15分ほど歩くと社殿が見えてくる。

滝原宮

瀧原宮社殿1

祭神は、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)。この荒祭宮の隣に瀧原竝宮(たきはらならびのみや)という同じ規模のお宮が並んでいる。祭神は同じ。なぜ二つ並んでいるのか、理由は不明となっている。しかし素朴な感想としては、二つに分けて祀るという形がニギミタマ(和魂)とアラミタマ(荒魂)を別々に祀る元型になっているのかなとも思ったのだった。

そしてもう一つ。御船倉(みふなぐら)と呼ばれる「ご神体を入れる御船代(みふなしろ)」を収納する倉が置かれている。804年編纂の「皇太神宮儀式帳」にその存在は書かれており、古い由緒を持つものだけれど、内宮外宮そして他の別宮にも御船倉は無くこの瀧原宮にだけ存在している建物だ。それは、以前には内宮にもあったけれど今やここでだけ残っているものなのか、初期の頃だけ瀧原宮で儀式に使ったもの(装置)なのか、ルーツは不明となっている。

御船倉(みふなぐら)

瀧原宮御船倉

一体、この頃の「ご神体」とは何を指しているのだろうか。やはり八咫鏡とかの「鏡」なのだろうか。神宮の建物はとにかく、「皇太神宮儀式帳」(804年)に記載されていれば1200年前には既に存在していたということだ。しかし、創建はいつか?というのはわからない。どういう考え(概念)で作ったのかというのも今となっては不明だ。とにかく、瀧原宮は地理的に伊勢の神宮の中でポツンと飛んだ場所にあるので、それが余計に歴史の古さを感じさせるお宮なのだった。

おわり

 

 

-旅:伊勢周辺
-

Copyright© パンがなければ , 2020 All Rights Reserved.